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2014年08月16日

教師の支援。2つの形と、3つの支援の在り方

支援者としての教師の立ち位置がむずかしいと思っている。
さらに言えば、もっと学び合う必要があると考えている。経験的なものだけでなく、なんのためにそのような支援をしているのかを確かめ合う学び合いである。
そのためには、支援の形と在り方を整理する必要がある。

以下は、レクリエーション活動の支援の在り方から学んだことで、私の試案である。

支援には、2つの形と、3つの支援がある。
2つの形とは、環境作りの支援と、実際面の支援である。
環境作りの支援は、目の前に子どもがいないときの支援である。教室の環境を整えたり、保育の準備をすることである。
そこでは、子どもの思いを保育の場に活かす支援がなされる。

もう一つの形は、子どもを目の前にしたときの支援の形である。実際面の支援は、3つの支援に分けられるように思う。
①集団支援
教師がリーダーとなり、子どもを動かす在り方である。絵を描いたり、絵本を読んだり等の全体に対しての支援である。
②グループ支援
保育室で子ども達が自分の好きな遊びをしている。テーブルの場所では、粘土をしている。片隅では、電車ごっこをしている。それらの場所場所での教師の支援の在り方である。
③個人支援
まず、子どもが自発的に動き出している行為に対して、受容的態度を採ることである。あるいは、直接的な体験を大事に見守ったり、さらに促進する心的物的支援である。

①では、集団支援の様子は、「目的達成の言葉」の投げかけと、「集団維持の言葉」の投げかけを記録し、吟味することで、支援の在り方が浮き彫りになってくるように思っている。
②と③では、援助の方向をどう考えているかを支援者も語ることが出来る必要があるし、周りの教師もその支援の在り方を互いに吟味できるようになることが求められる。
私は、ひと言で言えば、「遊び」を保障する雰囲気を伝えられているかと言うことになるように思う。遊びは、自由であり、自発的な行いである。・・・自由にしていいんだという言葉と仕草の醸し出す雰囲気。あたたかく見守ってくれている言葉と仕草からの雰囲気。やる気の出るような言葉と仕草からの雰囲気。・・・ということになる。
そのような支援をするためにも、一人一人の子どもを理解しようとし、子どもの思いに寄り添い、今この子どものしていることの意味を大事にしながら援助しようとする姿勢があってこそ、「遊び」を保障する支援ができるのだと思っている。



※さて、保育がうまくいかない。あるいは、保育が上手でないのは、この支援の在り方のどこかがうまくいっていないと振り返ってみる必要がある。
それ以前のこともあるかもしれない。
例えば、支援の全てが、言葉と仕草のコミュニケーションである。それが上手くないという場合である。
どの相手に声を届けたり、思いを届けたりしているのかがはっきりせず、声をそこに届けるのではなく、一方的に声を周りにまき散らしていたりする等である。
大声で、無意味に、相手のために出なく、自分を落ち着かせるために出しているような言葉や声である。もうこれらは、論外である。が、これも含めて周りの者が指導し、組織全体が成長していかねばならない。教育者として、目の前の子どもの成長発達を保障するために。


※蛇足
幼児教育歴の短い者が、今思っていることなので、未熟な考えであると思います。
皆さんの、補足するような、あるいは訂正するようなご意見等をいただけたらと思います。
「支援」ということも、経験的なものだけをたよりにし、整理し、互いに学びあえていないのではないかと、思っているので、今の時点での自分の考えをメモしてみました。
8月16日3時5分
深夜に書くラブレターと同じで、明日あらためて見てみると赤面するような内容なのかも知れません。

  
Posted by 未来 at 03:14Comments(0)