2008年12月07日
「立ち位置がいい」
「立ち位置がいい」・・・先日の研究会の協議会で、ある園長さんのおっしゃったことです。
「子どもとの距離関係がとてもいい。つかず離れずで、時には、ヒザを折って子どもと顔を合わし、時には離れたところから見守り・・・」
そういうことを意味されたのだと思います。
今までも現職教育の中で、支援について話し合われることもありました。互いに確認しているのは、子どもは、先生と遊んでいるのではないと言うことです。もちろん支援のいる子どもは、先生と遊んでいる場面になることもあります。
私は、良くこのたとえを言います。ひまわりが10㌢ほど伸びてきたとき、細い茎がおれそうに思ってしまいます。このとき、割り箸をそえてあげることがあります。ひまわりが1㍍にもなりますと、割り箸では、役に立ちません。もっと長い添え木が入ります。要するに、相手に合わせての「添え木」が、支援の在り方です。相手に合わせてその支える姿が変化することが大事なことです。
自分立ちで遊べているときは、先生は少し離れて見守っていればいいのです。子どもによっては、自分のしていることに自信がなく、先生を振り返る子どもがいます。そのときは、にこっとその子を見つめ返すだけでまたそのあそびを続けられます。にこっとするだけでなく、「いいよ」「できるね」と、言葉も一緒に書けてあげることが必要かも知れません。場合によっては、そばに寄り添って、両膝を着いて子どもの視線と同じ高さになって、励ましをいうことも必要かも知れません。
その子が自分の持っているすてきさをしっかり発揮できるように、その子の様子に合わせてこちらがどのような支援が必要かが決まります。それにあわせて、その子との距離関係をはかっていきます。
小学校で言えば、一緒にドッジボールをしている場面もあり、先生がコートの近くで座り込んで見守っている場面もあります。はたまた、先生がいなくて自分たちでしている場面もあります。同じ事です。
集団ゲームの指導場面も同じです。
はじめは、指導者対参加者のようなゲームから始めます。次に参加者対参加者のゲーム。次にグループ同士のゲームというように、指導者の影を小さくしていく順番にゲームを組み立てています。そして、必要あれば、指導者が顔を見せます。
レクで指導者が顔を見せる場面は、2つです。
集団維持の場面と、目的達成の場面です。
教師も同じです。
集団維持というのは、みんながきもちよく参加できているようにする機能です。そのなかには、励ましのことば、ほめたたえる言葉、ほほえみ・・・・拍手・・・等々です。
目的達成は、どうすればいいのかが、全員に分かるようにする行為・言動のことです。私は、安全管理も、教師の目的の一つになっているので、それも含めて目的達成としています。
そのような確認や振り返りを教師集団でしています。いつどれくらいの出番が必要なのかは、最終は、指導者のセンスによると思うのですが、子ども理解が一番重要なことだと思います。それがなければ、いい支援は、できないと言うことです。「相手を理解しなければいい支援ができない」というのは、福祉の現場でもそうでしょうし、セールスや、サービス業すべてもそうなのだと思っています。
とにかく、その教師の立ち位置のことをほめていただいたことが嬉しいことでした。また、その視点を持って参観しておられるその園長先生の確かな見る目、力量にさすがすごいとも思いました。
研究会が終わり、少し時間が経ったことで、少しずつそれらを振りかえることができるようになってきました。
「子どもとの距離関係がとてもいい。つかず離れずで、時には、ヒザを折って子どもと顔を合わし、時には離れたところから見守り・・・」
そういうことを意味されたのだと思います。
今までも現職教育の中で、支援について話し合われることもありました。互いに確認しているのは、子どもは、先生と遊んでいるのではないと言うことです。もちろん支援のいる子どもは、先生と遊んでいる場面になることもあります。
私は、良くこのたとえを言います。ひまわりが10㌢ほど伸びてきたとき、細い茎がおれそうに思ってしまいます。このとき、割り箸をそえてあげることがあります。ひまわりが1㍍にもなりますと、割り箸では、役に立ちません。もっと長い添え木が入ります。要するに、相手に合わせての「添え木」が、支援の在り方です。相手に合わせてその支える姿が変化することが大事なことです。
自分立ちで遊べているときは、先生は少し離れて見守っていればいいのです。子どもによっては、自分のしていることに自信がなく、先生を振り返る子どもがいます。そのときは、にこっとその子を見つめ返すだけでまたそのあそびを続けられます。にこっとするだけでなく、「いいよ」「できるね」と、言葉も一緒に書けてあげることが必要かも知れません。場合によっては、そばに寄り添って、両膝を着いて子どもの視線と同じ高さになって、励ましをいうことも必要かも知れません。
その子が自分の持っているすてきさをしっかり発揮できるように、その子の様子に合わせてこちらがどのような支援が必要かが決まります。それにあわせて、その子との距離関係をはかっていきます。
小学校で言えば、一緒にドッジボールをしている場面もあり、先生がコートの近くで座り込んで見守っている場面もあります。はたまた、先生がいなくて自分たちでしている場面もあります。同じ事です。
集団ゲームの指導場面も同じです。
はじめは、指導者対参加者のようなゲームから始めます。次に参加者対参加者のゲーム。次にグループ同士のゲームというように、指導者の影を小さくしていく順番にゲームを組み立てています。そして、必要あれば、指導者が顔を見せます。
レクで指導者が顔を見せる場面は、2つです。
集団維持の場面と、目的達成の場面です。
教師も同じです。
集団維持というのは、みんながきもちよく参加できているようにする機能です。そのなかには、励ましのことば、ほめたたえる言葉、ほほえみ・・・・拍手・・・等々です。
目的達成は、どうすればいいのかが、全員に分かるようにする行為・言動のことです。私は、安全管理も、教師の目的の一つになっているので、それも含めて目的達成としています。
そのような確認や振り返りを教師集団でしています。いつどれくらいの出番が必要なのかは、最終は、指導者のセンスによると思うのですが、子ども理解が一番重要なことだと思います。それがなければ、いい支援は、できないと言うことです。「相手を理解しなければいい支援ができない」というのは、福祉の現場でもそうでしょうし、セールスや、サービス業すべてもそうなのだと思っています。
とにかく、その教師の立ち位置のことをほめていただいたことが嬉しいことでした。また、その視点を持って参観しておられるその園長先生の確かな見る目、力量にさすがすごいとも思いました。
研究会が終わり、少し時間が経ったことで、少しずつそれらを振りかえることができるようになってきました。
Posted by 未来 at 20:20│Comments(0)