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2010年03月29日

仕事

【本年度も 終わりということでの 雑感 です】

仕事・・・
「変化させること」・・・と、話しています。

■こどもの成長、変化
ボタンがとめられない。→ボタンがとめられる。
三輪車がこげなかった。→一人でこげる。
自分からゴミが拾えなかった。→拾える。
食べられなかった。→食べられる。

■時機が熟すと
すでに、子どもの中にその能力がある。それが、時期が熟すと表に現れてくる。
しかし、熟すための経験の場があれば、その目が出てきやすい。
球根が逢っても、それが土に埋まっていて、水と空気と音頭がなければ、発芽してこないし、育たない。
子どもも、その芽が出る環境を創ることで出てくる。

■芽が出る経験と環境
簡単なことのように見えていても、三輪車のペダルをこげない子がいる。ブランコをこげない子がいる。しかし、何回もその遊びをしていると、上手に扱くことが出来ている。その経験がなかったから出来なかった。
逆上がり補助器を園庭の鉄棒に設置した。特に、それを使って逆上がりを教えているわけではない。しかし、鉄棒に興味を持って、それであそび逆上がりが出来るようになる子がいる。それを見ていて、まねる子がいる。その環境があるから、逆上がりを出来る子が増えている。まだ、幼い子ども達なので、全員がしなくても良い。個人差が大きいのだから、興味あることをふくらませればいい。

■人的環境
給食で、ある男の子がおかわりしおしるの器をもって自分の席に戻ろうとしたとき、お汁がこぼれた。そのお汁を何気なく自分のポケットからティッシュを出して拭き取ってくれたのは、そばに座っていた子どもである。3歳児である。
実に自然な行為に、私は感動した。
この3歳の子どもは、3歳ながら似友達のこぼした者を拭き取ってあげるという行為をどこで習得したのであろう。
家庭であるのかもしれないが、私は、初めての集団活動である幼稚園で学んだのではないかと思っている。

教師の姿が、モデルとなって子どもを成長させていることが多いと考える。
親以外で、しっかりとかかわってくれる初めての他人が教師である。その教師の人間の行為や考え方などが人モデルとして、小さな子どもに刷り込まれているのではないだろうか。

教師が何気なく下に落ちた物を拭いている行為を取り込んでいる子どもがクラスにたくさんいるのではないだろうか。

■『人が良い』教師モデル
 子どもと一緒に、笑ったり、泣いたりと、共に感動する大人であることがだいじだなあと思っています。同じ時間と空気を共有するということです。
そして、将棋のコマを動かすように、教師にとって都合の良い子どもにしつけるのでなく、一人の人として尊重しながら接すると言うことです。

「何してるの」と、突拍子もなく子どもからの質問が来ます。
①無視する。(聞こえていないふりをする)
②じゃけんに扱う。(「忙しいからあっちにいきな」)
・・・3歳の子どもにですから、このような対応も可能でしょう。
しかし、幼稚園の先生は、そんな扱いは絶対しないのです。
「今ね・・・・してるのよ」

一人の人として、尊重して付き合ったら、それが当たり前です。
うちの職場の先生は、本当に人間味ある先生達だと思っています。

■人間的になれる仕事
実は、小学校で勤めている頃より、幼稚園に来てから、感動的な場面に出くわすことが多くなり、大変涙もろくなりました。
「人間と出会うところ」なのだと思います。

先ほどの3歳の子どもの善行というのか、自然な優しさを見ても感動するし、先生方のそれこそ真摯な日々の取組にも感動するし、自然との距離が近づき、それにも感動する日々です。

例えば、
小さな本当に細い茎の花が、昼近くになると細い茎をもたげて、傘のようにきれいに蒔いた花びらを広げて花壇の片隅で咲くのです。朝目が覚めるようにその花も少し起きあがり、昼にはしっかりと花を開くのです。1ミリほどの太さの茎で花を持ち上げていくのです。
幼稚園で朝玄関を掃くときは、まだかさがを蒔いているような様子の花が、子ども達が外遊びする10時頃には、しっかりと花びらを広げています。

小学校で勤めているときには、このような小さな花の様子には、目がいきませんでした。
単に、年を取ったから、小さな事に感動するのかも知れません。
しかし、感動する場面にたくさん出会わせてもらった2年間であったことは、事実です。

■教師の成長
少し、話が変わりますが
先日、春休みになって一段落したのでしょう。職員室の炊事場周りを整理整頓してくれている先生がいました。「ありがとう、自分の家と思っていいようにしてね」というのと、「先輩先生が、週に一度の自分の当番の時、常に少しずつだけど職員室の床を、洗剤を付けて拭いてくれているのを知ってますか」と、声をかけました。
私も途中まで気がつかなかったのですが、短時間ですが、少しずつ床を磨き粉を使い拭き掃除してくれているのです。その日整理をしてくれていた先生は、気がついていませんでした。
日直の先生は、職員室の掃除をするとなっています。掃除機で掃除をしてくれていますが、床を拭くまでは申し合わせていません。その先生は、みんなの机を拭き、床を拭く+αをしてくれているのです。
こんなこともありました。私がチューリップの球根をうえたプランターに「チューリップのあかちゃんが眠っています。いつめをさますのかな」と、立て札が立っていたり、保護者の方が季節の物、例えばユスラウメなど、持ってきてくれると、それを最高の教材となるように、玄関に置いて、そこにカードを付けてくれるのです。何事につけても、自分のクラス経営だけでなく園経営の広い立場を考えながら仕事をしてくれているのです。そのような先輩がいる職場ですから、今年入ってきた先生も、その先輩のいい影響を受ける事だろうと思います。
いい職場の人に影響を受け、子どもだけでなく教師も育つ職場なのだと思います。

■変化
子どもも、成長という変化。
教師も、教師としての専門職の力量がアップする変化と、人間力がアップする変化。
さらには、周りの人の互いに成長する変化。

仕事面で関わりながら、
自分が今・・・教師として・・・生き甲斐・やり甲斐・育て甲斐
ある場に、おられるということが、ありがたいことだなあと思います。


■私の仕事として
単に「ありがたい」だけでは、ダメです。
私の仕事として、
「変化できる場」をつくっていく、経営スタンス
が、常に問われていると思います。

まず、
自分が変化することです。

いつもいいます。
来ている物を一度に脱ぐと、・・・・風を引きます。
うすいかわを1枚ずつでいいと思います。

自分のかわを1枚ずつぬぎながら
新しい自分に変化させること


次に、
公私混同のように
勤めに行っている園・・・でなく
自分の居場所としてのこの園を、こんなすてきな園にしたいと
前進する


そして、
和歌山大学の学長の卒業式でのお話が新聞記事に少し載っていましたが、
「頼るべき事はお願いできることで自立できる」
自分勝手な、独りよがりでなく、
みんなの力を結集できるような
開いた姿


■石の上にも3年・・・目

初夏の
心地よい風のように

・・・

私が好きな言葉に

蟻がはう
彼方は遠い
遠いから幸せがある

・・・

こつこつと
ありに教えられ
あるいていきましょう


蟻は、自分の体重の60倍の重さを背負って歩けると聞いたことがありますが、
真偽の程はどうでしょう。
蟻のようには、重い物をもてませんが

すぐに結論を出してしまえる物もあるでしょうが
そうでないすぐに結論が出ない課題は、
蟻のように持ちながら、
今ここを大事にしながら
・・・歩き続けたいです・・








Posted by 未来 at 00:05│Comments(0)
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