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2015年02月11日

表現(現職教育 資料に)

勤めている縁では、「表現」を今年度の現教にしている。関連したものがあったので、ここに

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○「一週間の音日記」?音を書くということ?
             ノートルダム清心女子大学 吉永早苗
https://www.facebook.com/groups/149441635241603/
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 岡山のノートルダム清心女子大学の吉永早苗さんの論考です。「音日記」
の実践についての精緻な省察の報告です。        (石川 晋)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
○「一週間の音日記」-音を書くということ-
             ノートルダム清心女子大学 吉永早苗

 保育・小学校教諭を目指す学生の「聴くこと」に対する意識を高める試
みとして、「一週間の音日記」のレポートを課しています。音日記とは、
その日聴いた音の記憶を文章化するものであり、サウンドスケープの提唱
者であるマリー・シェーファーによるサウンド・エデュケーションのアイ
ディアの一つです。彼は、「聴くという行為はひとつの習慣になってしま
っていて、私たちは聴き方を忘れてしまっているようだ。私たちは、自分
たちをとりまく世界の脅威に対して耳を研ぎ澄まさなければならない。鋭
い批判力をもった耳を育もう」と、音に注意を払い、意識的に聴くことを
呼びかけています。私は、次のように課題を提示しています。

 7日間、『音の日記』を書いてみよう。なにか珍しい音を毎日見つけて、
その感想を日記に書いてみよう。  
 ○あなたの日記に書いてほしいこと。~~たとえば・・・   
  *朝、外に出ていちばん最初に聞いた音は?   
  *ゆうべ寝る前に、最後に聞いた音は?   
  *今日聞いた中で、いちばん大きかった音は?   
  *今日聞いた中で、いちばんきれいだった音は?   
  *今日聞いた中で、いちばんお気に入りの音は?   
  *今日聞いた中で、ドキドキした音?・・・・・  
 ○どうしてそう思ったか、それも考えてみよう。  
 ○昨日に比べて、何か聴き方に変化があったかな?  
 ○気づいたことも書いてみよう。
 学生は7日間、毎日その日の音の思い出を文章に起こします。描かれる
音は「今そこにある音」ではなく、一日の記憶から想起された音です。日
記を書く際に、思い出した音を単に箇条書きにするのではなく、その理由
や自分の聴き方の変化などの気づきを書くことが重要です。そうすること
によって、音に対する観察力の向上が期待されるからです。気づく音の種
類を増やすだけではなく、その音をとおして自己と向き合う機会つくるこ
とが、音日記の魅力だと思います。
 音日記の感想には、「はじめて音日記をつけて、日頃自分がどれほど音
を意識していないかがわかった」といった記述が多くあります。「音への
気づき(意識)」の変化について、その一例を紹介します。
 1日目:「ピン」というオーブンの音にわくわくした。
 2日目:暖房を「ピッ」とつけると「ウィーン」と機械音がし、しば
     らくして「ボー」と温風が出始める。「ガタンゴトン」と電
     車が近付いてきて徐々に大きくなる音に、これから電車に乗
     って行くことを憂鬱にも思いながら、よし明日もがんばろう
     と思う。

 この学生のように、初日の日記には、電化製品の音が多く書かれていま
す。しかし2日目になると、それらの音の変化に気づいたり音に感情を重
ねたりするなど、記述の中身が詳しくなっていきます。

 3日目:自分のヒールの「コツコツ」という音に混じって、雪を踏む
     と「ジャリッ」という音がして、次の一歩を踏み出すために
     地面を蹴ると「ギュッ」というような「ギシギシ」というよ
     うな音がした。

 自らが作り出す音に気づき、自分の動作と音の変化の連動を試していま
す。「音って面白い。私たちの身のまわりには本当に音があふれていて、
音のない世界など存在しないのだなあと深く感じた」といった感想も多く
みられるようになります。

 5日目:聞いていて楽しくなった。普段あまり意識したことがなかった
     が、電車の音もよく聞いてみると面白い。心に余裕があるとき
     には、いつも聞いている音とは違って聞こえると感じた。
 6日目:小雨の音は何となく寂しく感じる。人が少なく、しんとした休
     憩室で口紅を塗り直した自分の口から「パッ」と音がして、恥
     ずかしかった。

 口紅を塗り直したときのほんのかすかな音に対して、静寂のなかに響く
自分の音に恥ずかしさを感じています。音を聴くことへの意識が高まるこ
とは、自分の出す音を客観的に捉えられるようになることであり、それは、
「社会のなかの自分」の存在に気づくことであるように思います。

 7日目:台所に行くと母が居て、お鍋の煮えるグツグツという音、まな
     板の上でトントンという包丁の音、スリッパのパタパタという
     音がする。様々な音に満ちていて騒々しいが、なんとなく安心
     する音である。

 学生は、台所の音を「安心する音」と感じていますが、「台所の炊事の
水の音には何か我々の心を癒す働きがある(谷村2002)」のです。身の回
りの音を「よく聴く」ことで、雑多な生活音のなかに、人びとの営みを見
ることができるようになるのではないでしょうか。
 音に対する気づきの変化は、「聴き方」に対する意識の変化でもありま
す。例えばある学生は、初日には「音は意識しないと聴こえない」と記述
しているのですが、翌日には、「音を文字で書き取ると見えるようになる。
音は目に見えないものなのに、読み直すと、頭の奥や耳の傍で鳴っている
ような気がする」と書いています。さらに3日目には、「自分が微動だに
せず過ごしたとしても、周囲では自分が出さない音の代わりに、何か音が
している」と、意識を集中した音の聴き方が為されています。また、「物
理の授業で習った音の定義とは違う音の感じ方をして、私たちは毎日生活
している」(3日目)、「同じ動きで生じる音も床の材質によって変化す
る」(4日目)、「音の心地よさには視覚や嗅覚も関連している」(5日
目)など、一つひとつの音に意味を感じたり、音の感じ方の分析をしたり
して聴こうとしています。最終日には、「日常の行動をもっと考え直す必
要性があることもわかった」と書いてあり、自分の作り出す音を他者との
関係性で捉えるようになっていることがわかります。そして最後に「音日
記を1週間続けることは辛かったが、とても意義のある1週間だった」と
結んでありましたが、音を聴くことに対して真摯に向き合っていたことが
うかがえます。 

 音日記に綴られる音は音楽音ではありませんが、風に働きかけて多様な
音を聴いたり、降り積もる雪を見て音を想像したりした経験は、鳴り響く
音楽音のなかに心象風景を描くことにつながるでしょう。また、身の回り
の多様な音を聴くことで得た音のストックや、音を想像したり音から連想
したりする経験もまた、豊かな音楽表現につながると期待します。さらに、
音の印象を書く経験は、学生の思考力を向上させています。二例、紹介し
ます。

「音はその人の感情に寄り添うからこそ、人の心を揺さぶるのだろうと思
った。草が風になびいてさやさやいう音でさえ、会話をしているように聞
こえるようになった。音にも命みたいなものがあり、生きているように感
じるようになった。だから、音の一つひとつをないがしろにするのではな
く、ちゃんと聞こうと思った。」

「生活のなかの音に注目していると、不思議だけれど不満が少なくなった。
外から自分のなかに入ってくる音を丁寧に受け入れていると、自分のなか
で、考えや気持ちをじっくり温めることができ、何かが欲しい、して欲し
いという欲求が減ったように思う。自分を知ることは、とても大切なこと
なのだと気づいた。」

 思考力の向上は文章力の向上につながります。小学校教諭を目指す学生
が、「ぜひ実践したい。作文が苦手な児童も文章が書けそうに思います」
と感想を書いていました。学生は、自分自身の記述の深まりを実感したの
でしょう。音日記が提出されたとき、学生には「見たこと作文」を紹介し
ています。

○「音感受教育」のススメ
―音・音楽を聴いて感じる・考えるということ―
             ノートルダム清心女子大学 吉永早苗

 研修等で、「ただ歌っているだけ、ただ楽器を鳴らしているだけの音楽
表現になってはいませんか?」と問いかけてみる。すると、多くの方が頷
きながら笑う。これには二つのパターンがある。まず一つは、歌詞を覚え
て歌うだけ、好き勝手に楽器を鳴らすだけといった表現活動である。もう
一つは、発表会に向けて保育者の号令(合図)にしたがって声や音を発し
ている活動。何れの活動にも、幼児が「音や音楽を聴いてその印象を感じ、
共鳴し、感情を抱き、さまざまな連想を引き起こす心的なプロセス」が欠
けている。私はこの過程を「音感受(おとかんじゅ)」と命名し、音感受
力を高める「音感受教育」を提唱している。
 
A素朴な音を感受する幼児
 音や音楽に耳を傾けることは私たちの生得的な特徴であるが、音や音楽
が氾濫している今日の環境において、私たちはどのように聴くかというこ
とよりも、どのようにして聴かないかを日常の中で選択している。幼児も
その例外ではない。武満は「私たち(人間)の耳の感受性は衰え、また、怠
惰になってしまった」(武満徹『武満徹著作集』新潮社2009)と断言して
いる。保育界においても、「幼児は多くの音を聞いてはいても耳を澄ませ
て聴いてはおらず」(立本千寿子「幼児の音の聴取・表現力と行動特性」
教育実践学論集第12号2010)、「聴くことに向かおうとする姿勢が失われ、
身のまわりの音への気づきも少なくなってきた」(金子弥生「思考する人
を育てる音環境」音楽教育実践ジャーナル第4巻第2号2007)など、近年、
幼児の音に対する感受力の低下が問題視されるようになってきた。
 しかし幼児の遊びを見ていると、大人が聴き逃してしまうような音に対
する微細な気づきにハッとさせられることは少なくない。たとえば、カー
ブした小川の畔を行ったり来たりしている3歳児に理由を尋ねると、「あ
っちとこっちと、音が違う」と教えてくれた。同じように歩いていても、
聴こうとしなければ聴こえない音の気づきである。また、ショベルカーを
手に持って遊ぶ幼児の「ドイージャー」という聞き慣れない擬音は、隣の
工事現場で作業しているショベルカーの音を忠実に表現した擬音であった
り、自分に向けて「ポ?ン」と鳴らされたトーンチャイムの音の軌跡を追
うかのように後ろを向いたりするなど、幼児が遊びの中で、音をしっかり
と感受していることに気づく。加えて、歩くと音のするテラスでリズミカ
ルに飛び跳ねていたり、響きの良いホールでは声を長く伸ばしたりビーズ
を撒き散らしてわざと音を立てたりする等、場の音響は幼児の遊びや表現
をアフォードしている。

B幼児の音感受に着目する―保育者の音感受力を高めるために
 幼児教育においては、こうした幼児の音感受に保育者が気づいていない
ことに問題がある。「表現」という領域が「感性と表現」の領域であるこ
とを再確認し、 音楽表現を音楽の再表現活動ととらえることなく、幼児
の素朴な音への気づきや音の表出行為に注意を向けることによって、私た
ちは幼児の音感受に気づくようになる。
 「幼児の音楽表現は、ほとんどありませんでした」と、保育観察の感想
を言う学生に、「身のまわりの音を聴く行為に注目して幼児を観察する」
という視点を与えると、その記録が著しく変化する。たとえば、「幼児が
『いま、ピーポーピーポーきたな』と教えてくれることで、遠くを走る救
急車の音に自分が初めて気づいた。そして、幼児はどちらの方向から音が
聴こえるのかも感じ取っていた」、「空き缶、皿、ボール、コップ等を叩
いて音の違いを喜んでいた幼児が、空き缶でも大きさが違うと音の異なる
ことを不思議そうにしていた。そしてコップを空き缶の上に置いた場合と
地面に置いて叩いたときの音が違ったことを保育士に嬉しそうに教えてい
た」等、身の回りの音を敏感に感受して楽しんでいる幼児の事例がいくつ
も報告されるようになる。事例から明らかなように、音感受は心的なプロ
セスであるため、それに気づくようになることは、幼児の内面理解につな
がる。

C音楽の感受
 次に、音楽の表現について考えてみよう。幼稚園・保育所における集団
活動としての音楽の表現活動において、領域「表現」の「感じたことや考
えたことを自分なりに表現して楽しむ」というねらいは、本当に実現して
いるだろうか。
 音楽表現は、幼児にとって楽しい活動である。幼児は、保育者や友だち
と一緒に声を出すことや、楽器を鳴らしたりすることを楽しんでいる。加
えて、音楽のリズムにのって身体を動かしたり、歌っているうちに思わず
声が大きくなったり身体が動き始めたりするような楽しさがあるだろう。
それらは拍の流れやその曲の変化を感じることから生まれる音楽的な楽し
さである。つまり、音楽を形づくる要素や曲の仕組みもまた、音楽表現の
「楽しさ」をつくり出す重要な要因なのである。
 そこで、音楽を構成する要素や音楽の仕組みを感受することを表現の「
ねらい」として意識してみよう。そうすると、楽しさの中身が、音の変化
に気づいたり、歌の情景を思い浮かべたり、自分の声や楽器の音などの音
色を考えてみたりするなど、音楽を感受した楽しさとなる。こうした楽し
さこそが、音楽的感性を育むのである。
 岡山市内の17の保育園は合同で、音楽的な「ねらい」を意識した音楽表
現の研究に取り組んでいる。実践を重ねる中で、「注目させたり静かにさ
せたりするために手遊び歌を用いていたが、音の変化や音楽的な流れと身
体表現との連動を、幼児が自ら感じていることがわかった」、「『夕やけ
こやけ』を歌うとき、言葉のそれぞれに反応して“おててつないで”のフ
レーズでは手をつないで勢いよく歌っていた幼児が、保育者が詩のイメー
ジを言葉で説明したり実際に夕焼けを見たりするなどして伝えてみると、
叫ぶような歌声は消え、ゆったりとした温かい感じの歌い方になった」等、
保育者は音楽表現の中での「感じる・考える」プロセスが、幼児の音楽表
現の質を高めることに気づくようになっている。さらに、「保育者が表情
豊かに歌うことで、幼児は、自ら音の動きや強弱を感じとって身体表現に
結びつけるようになる」、「『うみ』では3拍子を拍節的にとらえるとゆ
ったりした表情が失われたので、曲の表情に合った拍子の取り方の工夫が
必要」等、音楽的なねらいを考えて実践することが保育者の音楽的資質向
上につながっている。
 この音楽的な「ねらい」は、楽器を用いた表現活動にも応用したい。た
とえば,手づくり楽器の活動も、楽器を作る楽しさに加えて多様な音色の
追究を目指すことができるだろう。また、保育室で自由に手にとって鳴ら
す楽器も、音を重ねたときの響きを考慮して選びたい。楽器を自由に鳴ら
す楽しさに加えて、その響きの美しさを感受してほしいからである。

D音感受教育の相互作用サイクル
 「音感受教育」とは、「音感受」の質を上げていくことである。質を上
げるとは、素朴な音感受が、それを繰り返す中で豊かで深い意味をもった
音感受に変容していくことである。保育者は、幼児の「音感受」に気づく
ことで、幼児がそこで何を感じているのかを考えるようになる。そうする
ことで、幼児の素朴な音の感受への共感が生まれ、保育者自身の「音感受」
が研ぎ澄まされていくようになる。保育者の「音感受」力が高まれば、幼
児をとりまく音や音楽の環境に配慮が行き届くようになり、音への多様な
気づきが生まれるような音環境や、音楽表現活動が構成されるであろう。
幼児は、自分の前音楽表現に共感してくれる保育者の存在によって、表現
の質を高めていく。このように保育者が自らの音感受を高める過程におい
て、音・音楽環境と幼児、および保育者の三者間には、その質を向上させ
る相互作用が働くようになる。

○環境が育む幼児の音楽表現
              ノートルダム清心女子大学 吉永早苗
ア 表現におけるインプット
 音楽表現は,発表という形態によってその成果が伝えられるため,アウ
トプットのための方法論だけに注意が向けられがちである。しかしその表
現は,それまでの感性的な体験(=目に見えない価値を感じること。しみ
じみと実感し,意味や価値に気づくこと)によって支えられている。「感
じる(気づいたり感情を抱いたりする)・考える(想像したりイメージし
たりする)」というインプットの過程があってこそ,表現活動(アウトプ
ット)は成立する。
 ところが保育における音楽の活動は,アウトプットの領域でのみ語られ
てはいないだろうか。行事や制作発表に追われ,大人主導での表現を作り
出してはいないだろうか。作品としての表現は出来上がったとしても,そ
の作品あるいはその過程に,幼児の感性的体験が存在しているかどうかを,
しっかりと問い直すことが必要である。
 保育の場では,感性的体験の,質と量とが保障されるべきであるだろう。
そしてそれを保障する鍵は、園内の環境をまるごと教材として捉える視点
の転換にあるのではないだろうか。なぜなら,人はモノや出来事に出会う
ことによって知識や体験を得,モノや出来事を介して他人と出会い,関係
性をつくっていくからである。

イ 環境=教材という視点
 保育における環境は,保育室内も廊下も園庭も,そして保育者も含むす
べてが,保育内容としての配慮のもとに整えられている。その環境観は,
主体によって意味づけられ,構成された世界であるという見方である。授
業という形態をもたない保育の営みの中で,幼児は園内の環境とのかかわ
りあいの中で学び,育っていく。たとえばそこにある樹木の,折々の季節
での枝の広がりや鳥のさえずり,紅葉や落葉,雨に打たれる音や風に揺れ
る音といったそれぞれの表情が,そのときどきの保育目標を持った環境=
教材となる。
 今泉(2006)は,教材発掘・選択のルートとして,次の三つのタイプを挙
げ,授業においては,2と3のルートでの体験を増やすことを提案している。
1.授業のねらいや目的から,教材を発掘・選択していく場合
2.教師がある事実や事物に驚いたり,ある作品に感動し,授業してみたい
気持ちに駆られる場合
3.子どもたちの疑問や問いから授業が創られていく場合
 保育における環境観には,この1~3のすべての条件が同時に揃うことに
なる。環境において,幼児は,保育内容の目的どおりの出会いを経験する
こともあれば,そうでないこともある。そしてまた偶然の出会いによって,
予測されない結果を生み出す場合もある。なぜなら,幼児は好奇心の赴く
ままに,遊びや観察をとおして,モノや出来事との新しい出会いを繰り広
げていくからである。したがって保育者は,幼児が常に新しい出会いを展
開し,感性の体験を豊かにしていくような性質の環境を用意しなければな
らない。それは,今ある環境に注意を向け,見直すことから始まる。

ウ 五感体験から導かれる音楽表現
 ピアノの音は,誰が叩こうと,たとえ猫が叩いたとしても同じだと言う
人がいた。確かに,ピアノの音の高さは固定されている。リオタール(2002)
は,「われわれはある色や音を,振動として, その振幅, 波長, 周波数によ
って決定することができる。しかし,ひびきと色合い,これらはまさしく
そうした決定づけを逃れるもの」であり,それは「何らかの音符あるいは
色が, 音響学的あるいは色彩学的連続において占める空間, 自らを同定す
る際の目盛りとなる非常に僅かな空間の内部に, 一種の無限性を導入する」
と述べている。この僅かな空間の内部に導入される無限性の響きや色合い
を導き出すのが, 感性の存在である。その感性の導きによって,タッチや
タイミング,ペダリングやアーティキュレーションなどが決定され,ピア
ノの音は,弾く人ごとに彩りを変える。
 その感性は, 音を観察し(聴取して吟味する), 音をイメージし, また,
音の聴こえない対象からも音を感じ取る体験によって豊かになっていく。
作曲家の久石(2006)は,「作曲をする際の感性の95%くらいは自分の中にあ
る知識や体験などの集積である」と述べている。音のイメージを感じたり
音を創出したりすることは直感的に生み出されるように思われるが, その
直感もまた, それまでの感性の体験に基づいた無自覚な推論の結果なので
ある。
 音楽表現を導くのは, 聴覚による感性の体験だけに拠らない。打楽器の
演奏家であるエヴリン・グレニーは, 8歳の時に聴力を失った。しかし彼
女は, ソロ演奏のみならず, 即興でのアンサンブルまでも行う。アンサン
ブルは, お互いの音を聴きあって音を調和させるという一般の常識を覆し
た彼女は, 収録映像(2007)のなかで, 「音は身体で感じるもの。私たちは
音に触れられる」と言い, さらに,「もし触角という感覚を失ったとして
も, 内なる世界に(第六感によって)音楽は生き続ける」と断言している。
 筆者は講義をとおして,これまでに二人の難聴の学生に出会った。ソル
フェージュの時間には,ハンドサインを用いて音と声の一致を試みたとこ
ろ,二人とも学期末の聴音は満点であった。そしてピアノを受講した学生
には,ある日彼女の手のひらに指を置いて,ピアノを弾くタッチの違いを
伝えることを試みた。すると,笑顔で大きく頷いた彼女の演奏は,期待ど
おりの音色へと変化した。
 また, 絵を見たり物語を読んだりしている時, 私たちは, そこに音ある
いは音楽を感じたり, 臭いや手触りなどまでを感じたりするようなことが
ある。さらに音楽を聴いて, それに風の流れを感じたり, 牧歌的な風景を
見たり, あるいは愛のささやきを聞いたりすることがある。このように,
五感の壁は硬いものではなく, お互いにつながりあっているのかもしれな
い。かつて3歳から6歳の幼児に, 目の前に打楽器を中心とした楽器を並べ
て絵本の読み聞かせを行い, 各ページで感じた音を表現するよう促した。
するとすべての幼児が, 各ページでの音の表現を行った。このとき, たと
えば,椰子の実がはじける場面ではシンバルを用いるなど,同じ場面で共
通の楽器が使用されたり, お祭り騒ぎをしている場面では賑やかに打楽器
を鳴らしたり,あるいは「怖いから何も聞こえない」と, 無音という表現
が見られたりした。幼児は,音楽は聴覚・絵画は視覚という一方向的な感
覚によって対象を捉えてはいないのではなかろうか。
 整えられた保育環境の中で,幼児の感性は, 自ずと育まれていく。そし
てまた, 目的を与えられず行き先を決められない環境の中でもまた, 育ま
れていく。子どもは,環境(=教材)との出会いとかかわりの中で, 「い
ま,自分がここにある」いう瞬間を全身で感じているにちがいない。保育
者は, その出会いを大切にし, その瞬間の感動を共感できる存在でありた
い。

Posted by 未来 at 13:23│Comments(0)
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