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2009年07月10日

教育とは、変化を楽しむこと

教育とは○○である。

などと、きっと定義があることだろう。
今、私の中では、「変化を楽しむ」ということです。

子どもの成長を見守ることも、変化を楽しむことの1つだと思います。
3歳の子どもが、三輪車のペダルをこげませんでした。でも、自分でペダルを踏んで前に動くようになり、喜んでそれで遊ぶようになりました。てつぼう君(と、名前を付けた補助器具)で、あそぶうちに前回りができるようになり、お帰りの際におかあさんに「見て、見て」と、鉄棒の方にお母さんを引っ張っている姿を見て、私自身も成長する姿を喜んでいます。

ほかにも、子どもが変化するために、いろんな刺激を与えて、反応を引き起こすような取組が、日々の中で行われています。
それが、意図的教育と言われているところだと思います。
遊びの場を設定するにしても、友達との交流が起こる場ということを考えてそこに場を作っています。適切な目的があり、それに向かうための意図的な投げかけがあり、それによる子どもの変化を目の前にして、それを喜びます。
例えば、のりの使い方でも、のりを紙のはしっこにきちんとつけ、紙のはしがめくれてこないように指導します。そして、そのけっか上手に紙の端にのりを付けてぴったりと貼れるようになります。ちいさな変化でも、投げかけることにより、変化を見せてくれます。

私は、環境の変化も教育だと思っています。子どもの環境を変化させる。それによって子どもの何かが変化する。
例えば、毎週保護者に3人ずつ絵本の読み聞かせをしていただいています。もちろん、教室では先生が必ず1日1冊の絵本を読んでいます。このような文字文化の中で生活することで、何かが変化してくると思うのです。
他にも、トマト60本・ゴーヤ30鉢・ひょうたん30鉢・・・と、子どもの身の回りに、実のなるものを育てて、子どもがそれらと出会うだけでも、子どもの中に何か変化が起こってくるのではないかと思っているのです。

教師が1番の環境です。その担任の笑顔や明るさが、これは無意図的ですが、クラスの明るさや、優しさになっていってると思うのです。そのクラスの子ども達の変化を見るのがありがたいと思うのです。

このような変化が、日々幼稚園で起こっています。
そこに教育があると思うのです。だから、まさしく、幼稚園は教育の場であると感じているのです。


子どもが変化することを、教師が楽しむために、子どもにどんな刺激を与えようかと、それも教師が楽しめることです。
直接的な刺激。間接的な刺激。どんな刺激を子どもに与えようとしているのか。1人1人の教師が考えると共に、園全体で、その話をする必要があります。
どんな子どもを育てようとしているのか。そのために、何を大事にしていくのか。
教師の支援の仕方として、何を気をとつけるのか。

教師が「やさしさ」の視点を持って日々接しているからこそ、その視点が教室全体のものになります。教師のありようが、刺激となり、子どもに反応を引き起こさすのです。すばらしいことだし、なんともおそろしいことです。教師の成長が、子どもをすばらしく指導することにつながっています。自分を成長させることが、よりよく仕事をすることに直結しているのですから、こんなすばらしい仕事はありません。ありがたいことです。




しかし、力量のある教師は、子どもの少しの変化も見守っていますが、力量のない教師は、分かりませんし、見過ごしてしまいます。
良い教師は、よい変化を生む刺激をどんどん出すことができますが、力量のない教師は、出せません。
「○○を入れないコーヒーなんて」のコマーシャルと同じで、教師の力量によって、小さな違いを分かるかどうかの違いがあります。
どうしたら、力量がつくのでしょう。
私は「相手を理解する」ということが1番と思います。子ども理解です。そのためには『書き留めること』だと思うのです。書くためには、まず見る必要があります。そして、忘れないようにそれをメモする必要があります。1つ1つの出来事が、振り返ることができます。
囲碁でも、プロは、その勝負が終わってから、もう一度並べていくことができます。しかし、私などは、当たり前ですが、全くできません。プロ場、「意味のある手」をうっています。しかし、私などは、どこに打っても良いけど、ここに打とうとします。きちんとした方針を持たず、その場ばったりで打つからです。

私の言葉では「間合いを感じる」ことを常にしていることで、何を今する必要があるのかが分かってくると共に、相手に応じたこちらの行動が生まれてくると思うのです。

まず、自分の変化を楽しむ自分になる必要があるのかなあ・・・。
Posted by 未来 at 22:43│Comments(0)
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