2012年07月07日
くせにするのでなく、判断できる子に、
小学校1年生で、一人一人が、アサガオを育てる。
たまに、雨であっても、水をあげに行くこどもがいることが、話題になる。
そのようなことがなぜ起こるのだろうか。
幼稚園で、「くせになるように、・・」と、雨が降ったあとで、必要ないときでも、水やりをしているようなことがないだろうか。
水やりは、くせにすることではない。
育てているものをよく見て、水が必要だと判断したときに、やるものである。
くせにするのは、手をあらうこと。靴をそろえたり、トイレのスリッパをそろえたりすること。それらが、当たり前の文化となるようにすることである。
たまに、雨であっても、水をあげに行くこどもがいることが、話題になる。
そのようなことがなぜ起こるのだろうか。
幼稚園で、「くせになるように、・・」と、雨が降ったあとで、必要ないときでも、水やりをしているようなことがないだろうか。
水やりは、くせにすることではない。
育てているものをよく見て、水が必要だと判断したときに、やるものである。
くせにするのは、手をあらうこと。靴をそろえたり、トイレのスリッパをそろえたりすること。それらが、当たり前の文化となるようにすることである。
Posted by 未来 at 21:21│Comments(0)