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2012年12月01日

「感じる」

「感じる」
■子どもが・・・心に感じる環境を創る
■教師が・・・敏感に感じる
ここで何を感じてもらいたいのかという教師の姿勢がいる。

(例)
先日の、3歳教師の実践。・・・放課後の振り返りの時に話してくれたことである。
畑の中を子ども達と歩く。そこには、大根・タマネギ・ブロッコリジャガイモが植えられてある。
さて・・・。教師の姿勢で、その場所が全く違った場所となる。自然探検の宝の山を歩いていると教師が感じられているとすれば、そこは、子どもの学びの場になる環境となる。

 子どもが、大根の葉っぱに光る露を発見する。一滴の水滴が玉のように葉っぱに乗っている。「この中に虹が入ってる」。この子どもの感性がすばらしい。水玉が朝日に光っている。その露に自分の眼を近づけると、何ともきれいな色が付いていたのだ。「見せて、見せて」1滴の露が子どものすばらしい『今、見つけ』となる。

 昨日とは違った今日。今まで見ていなかった今。見つけるという「発見は、学びの入り口」である。それを教師が共感し、その子がすばらしい発見をしたねと、賞賛する。さらに、メガホンの役目をして周りの子ども達にもその感動を広げる。そうすることで、その場が、学びの場となる。
 子どもが、一粒の露に感動したとき、「それ水玉で露だね」。そんな、教師の解説が欲しいのではない。「あっ、そう」子どもの感動を共鳴板のように一緒に響かなければ、子どもは「感じた心」を教師に見せなくなってしまう。子どもの光が曇ってしまう。こどもの持つ光をいっぱい引き出す教師の構えが大事である。教師こそが、子どもにとっての大事な人的環境である。
子どもが、感じたことを教師がどのように受け止めるかという例である。

もう一報で、意図的教育として、教師が子どもにどのような心に感じることをここで味わってもらいたいのかと、用意することが常に必要であると思っている。
→続く
Posted by 未来 at 08:58│Comments(0)
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