2013年11月25日
研究保育雑感2 着目児
金曜日の研究保育を見せていただいた感想である。
着目児を通して、その保育での子どもへの支援のあり方を学びあうようにしている。私自身もB君と、B君を支援する先生を意識的に見るようにしていた。
私はこれくらいがちょうどいいと感じている。「着目児を通して」としているのであるから、この子が着目児として取り上げているのだなあと、分かるくらいに先生も意識的に支援をしているように見えた。
なぜ着目児として選んだかは、その子のよさを他の子に知らせて、他の友達と架け橋を作ることである。
その子どもが作業していたとき先生もその場にいた。そして、そこに来たC児がB君が作っているのを見ながら先生に「これなにかなあ」と、言った。先生の受け方がすばらしい。
「A君に、聞いてみたら」と返した。するとC君がB君に「これ何」とたずねた。B君もさりげなく「ハンドル」と答えている。
先生が聞くのでなく、子どもどおしがたずねて答えることを大切にしてつないでいる。とてもいい。
保育の最後の時間にも、みんなが手を上げるなかでそのB児にも発言させて、B児のがんばりよさをみんなに伝えていた。
「意図的」に先生がしていることがちゃんと伝わってくる。
単にみんな手を上げたからみんなをあてようでなく、このB児に発言させB児のよさをまわりに伝えたいからはつげんさせる。
なぜ、そうしたのかを説明できるように、教師が発言したり、行ったりする必要があるが、この保育では先生が、意図的に、自分の行為行動を説明できるような動き方をちゃんとしていたのがすばらしい。
レクリエーションでもストーリーがあることが大事と常に行っているのです。保育も同じ。
私は、この保育の時間の中にちゃんとしたストーリーがあったのがすばらしいと思っているのです。
もう少し、書きたいので、また次回に。
着目児を通して、その保育での子どもへの支援のあり方を学びあうようにしている。私自身もB君と、B君を支援する先生を意識的に見るようにしていた。
私はこれくらいがちょうどいいと感じている。「着目児を通して」としているのであるから、この子が着目児として取り上げているのだなあと、分かるくらいに先生も意識的に支援をしているように見えた。
なぜ着目児として選んだかは、その子のよさを他の子に知らせて、他の友達と架け橋を作ることである。
その子どもが作業していたとき先生もその場にいた。そして、そこに来たC児がB君が作っているのを見ながら先生に「これなにかなあ」と、言った。先生の受け方がすばらしい。
「A君に、聞いてみたら」と返した。するとC君がB君に「これ何」とたずねた。B君もさりげなく「ハンドル」と答えている。
先生が聞くのでなく、子どもどおしがたずねて答えることを大切にしてつないでいる。とてもいい。
保育の最後の時間にも、みんなが手を上げるなかでそのB児にも発言させて、B児のがんばりよさをみんなに伝えていた。
「意図的」に先生がしていることがちゃんと伝わってくる。
単にみんな手を上げたからみんなをあてようでなく、このB児に発言させB児のよさをまわりに伝えたいからはつげんさせる。
なぜ、そうしたのかを説明できるように、教師が発言したり、行ったりする必要があるが、この保育では先生が、意図的に、自分の行為行動を説明できるような動き方をちゃんとしていたのがすばらしい。
レクリエーションでもストーリーがあることが大事と常に行っているのです。保育も同じ。
私は、この保育の時間の中にちゃんとしたストーリーがあったのがすばらしいと思っているのです。
もう少し、書きたいので、また次回に。
Posted by 未来 at
20:20
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