2008年08月27日
足は第2の心臓
ミルキング・アクション =筋が収縮すると血管を動かし、血液を心臓に返すこと。
【足は、第2の心臓】
こどもは、心臓の働きを細くするために、足を使って血液を心臓に返しているのだそうです。だから、足は、第2の心臓ともいえるのだそうです。
しかし、夏休みも、蝉を捕る子どもの姿は、見かけません。昔は、遊べといわなくても、一日外で遊んでいたのではないでしょう。私などは、家の前の小さな川に洗濯するタライでみずをせき止めてドジョウと一緒に泳ぎました。けれど、今その川は、ヘドロのような土がたまっています。近くにマンションが建ち、そこからの生活排水などの影響でしょうか。村の道で水鉄砲を持って戦争のようなことをしました。しかし、今その道は、車が多く走り、水てっぽうをもって走り回ることなど、危なくて出来ません。
子どもは、どこに行ったのでしょう。
結局、家の中で、ごろごろしながら、テレビゲームなどで時間を過ごしているようになっているのでは、ないでしょうか。体の健康面も心配だし、友達との人間関係をうまく結べるかも心配になります。
【こころの健康・・・がまんする心】
健康・運動面から外れますが、昔は、兄弟がいる家庭が多かったです。私も兄がいます。例えば、食べ物で寿司などは、何かの晴れの日のごちそうで、そのごちそうをいただいてきたものを、兄と分けながらというより、奪い合いながら食べました。エビのお寿司がほしかっても、兄に食べられたら、我慢するしか在りませんでした。でもどうでしょう。毎日のように寿司があり、ケーキがあり、我慢せずに口に入ります。食べ物での兄弟げんかなどは、近頃聞いたことがありません。さりとて、テレビのチャンネル争いでの兄弟げんかも聞きません。今だったら、隣の部屋のテレビで見てこようとなっているでしょう。
大人というのは、例えば、今日の昼ご飯は、ラーメンを食べたいと思っていても、みんながうどん屋に行くことでまとまりそうなら、それでもいいかと、譲ったり、多少の我慢が出来るようになることがひとつです。子ども時代から、兄弟がいて普段の生活で我慢することを学習してきたから、いろいろな場で「がまん」することが出来るようになったのだと思います。何度も言いますが、年齢がいったから「がまん」できるようになったのではなく、学習する体験の場が生活の中にあったから体で学べたのです。
学校に行っていたとき、先生から怒られそのことを恨んでいたので、卒業してからその学校に行き、その先生を殺してしまったという子どもがいたようにも思います。自分の思い通りに行かないので、「がまん」できなかったから、犯行に及ばざるを得なかったといいかえられるのではないでしょうか。
そこまでいかなくても、小学校の3.4年で、次のようなことを実際に聞いたことがあります。鬼ごっこをしていて、オニになったからその遊びをやめた。ドッジボールをしていて、当てられて外に出なければいけないから、遊びをやめた。じぶんの思い通りに行かないと「がまん」できなくなるのです。人間関係がうまく結べるでしょうか。関係作りが、不器用になってきている子ども達の話題は、それぞれのところにあるのではないでしょうか。
ところで、5年ほど前に、高野山で研修会があり、その講師としてそこに行ったときのことです。その夕食が大広間で、おぜんがならんでしました。そこに入ってきた同じ団体の人が、ところどころに座って、孤食をしているのです。私などは、お膳が並んでいるのですから、奥から詰めて座っていくのが当たり前だと思っています。しかし、お構いなしに、人と間をあけて座っているのです。同じ団体でも、初めてであった者同士、人と関わるのが煩わしいからでないでしょうか。だから、大広間も、話し声がなく静か。また、当然のこととして、自分が食べたら出て行きます。大人でさえこの有様ですから、子どもがさらに人間関係作りが不器用なのは、あたりまえかもしれません。
【足は、第2の心臓】
こどもは、心臓の働きを細くするために、足を使って血液を心臓に返しているのだそうです。だから、足は、第2の心臓ともいえるのだそうです。
しかし、夏休みも、蝉を捕る子どもの姿は、見かけません。昔は、遊べといわなくても、一日外で遊んでいたのではないでしょう。私などは、家の前の小さな川に洗濯するタライでみずをせき止めてドジョウと一緒に泳ぎました。けれど、今その川は、ヘドロのような土がたまっています。近くにマンションが建ち、そこからの生活排水などの影響でしょうか。村の道で水鉄砲を持って戦争のようなことをしました。しかし、今その道は、車が多く走り、水てっぽうをもって走り回ることなど、危なくて出来ません。
子どもは、どこに行ったのでしょう。
結局、家の中で、ごろごろしながら、テレビゲームなどで時間を過ごしているようになっているのでは、ないでしょうか。体の健康面も心配だし、友達との人間関係をうまく結べるかも心配になります。
【こころの健康・・・がまんする心】
健康・運動面から外れますが、昔は、兄弟がいる家庭が多かったです。私も兄がいます。例えば、食べ物で寿司などは、何かの晴れの日のごちそうで、そのごちそうをいただいてきたものを、兄と分けながらというより、奪い合いながら食べました。エビのお寿司がほしかっても、兄に食べられたら、我慢するしか在りませんでした。でもどうでしょう。毎日のように寿司があり、ケーキがあり、我慢せずに口に入ります。食べ物での兄弟げんかなどは、近頃聞いたことがありません。さりとて、テレビのチャンネル争いでの兄弟げんかも聞きません。今だったら、隣の部屋のテレビで見てこようとなっているでしょう。
大人というのは、例えば、今日の昼ご飯は、ラーメンを食べたいと思っていても、みんながうどん屋に行くことでまとまりそうなら、それでもいいかと、譲ったり、多少の我慢が出来るようになることがひとつです。子ども時代から、兄弟がいて普段の生活で我慢することを学習してきたから、いろいろな場で「がまん」することが出来るようになったのだと思います。何度も言いますが、年齢がいったから「がまん」できるようになったのではなく、学習する体験の場が生活の中にあったから体で学べたのです。
学校に行っていたとき、先生から怒られそのことを恨んでいたので、卒業してからその学校に行き、その先生を殺してしまったという子どもがいたようにも思います。自分の思い通りに行かないので、「がまん」できなかったから、犯行に及ばざるを得なかったといいかえられるのではないでしょうか。
そこまでいかなくても、小学校の3.4年で、次のようなことを実際に聞いたことがあります。鬼ごっこをしていて、オニになったからその遊びをやめた。ドッジボールをしていて、当てられて外に出なければいけないから、遊びをやめた。じぶんの思い通りに行かないと「がまん」できなくなるのです。人間関係がうまく結べるでしょうか。関係作りが、不器用になってきている子ども達の話題は、それぞれのところにあるのではないでしょうか。
ところで、5年ほど前に、高野山で研修会があり、その講師としてそこに行ったときのことです。その夕食が大広間で、おぜんがならんでしました。そこに入ってきた同じ団体の人が、ところどころに座って、孤食をしているのです。私などは、お膳が並んでいるのですから、奥から詰めて座っていくのが当たり前だと思っています。しかし、お構いなしに、人と間をあけて座っているのです。同じ団体でも、初めてであった者同士、人と関わるのが煩わしいからでないでしょうか。だから、大広間も、話し声がなく静か。また、当然のこととして、自分が食べたら出て行きます。大人でさえこの有様ですから、子どもがさらに人間関係作りが不器用なのは、あたりまえかもしれません。
Posted by 未来 at 07:07│Comments(0)
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