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2009年09月04日

「幼稚園魂百まで」

「三つ子の魂 百まで」が正しい。

それを幼稚園と、変換しても間違いではないだろう。幼児の心である。

私自身、まだ、一年と数ヶ月の幼児教育の現場期間を過ごしただけである。そんな私が、「幼児教育とは・・・」と、面と向かい言えるような立場でない。一年と少しの在職の中で、今、そう思っていることとしての、幼稚園教育の意味ということである。

知識として、暗記する学習の場ではない。世の中は、速い流れの中で進んでいる。小学校でも暗記をする学習でないのと同じように、幼児教育も、そうでないという点では、同感と言ってもらえるように感じている。

さて、それでは、幼児教育とは・・・

私の園では、・・・いきいきと遊ぶ子ども・・・そして、サブテーマが・・・自分を表現できる子どもを目指して・・・である。
自分を表現できるというのは、人前で何かを演ずるというようなことだけではない。もっと広い考えである。いうなれば、自ら人・物・事に積極的に関わろうとする姿である。

この積極的な態度・関心・興味といった、知的好奇心の基礎になるような姿をイメージしている。

今年の研究テーマでもあるが、この積極的にいろんな物に自分から関わろうとする姿が、一生涯自分の人生をさらに切り開いたり、乗り越えたりする、いわゆる生きる力の基礎といわれるようなことに直結していているのではないだろうか。

今の私の思いでは、「幼稚園魂百まで」といったように、一生涯にわたる自分のクセとなるような積極的に関わろうとする態度・知的好奇心を育成することが、幼稚園教育の大きな一つではないかと・・・思っている。


それには、どうするのかという問題が残っている。
一言で言えば、環境である。そのなかで一番大きい環境は、なかま集団である。そして、大きな環境の一つとなる、教師である。
こどもの全てと言っていいくらいの学びは、子ども達の遊びの中にあると思う。そして、それを必要なときに必要なだけ援助する教師がいると言うことである。「チイチイパッパ・・・・」の雀の学校の先生ではないが、無理矢理に教師の思い通りに行動させる場面の中での学びは少ないように思う。
  
Posted by 未来 at 20:20Comments(0)

2009年09月04日

ころがし(ダンボール○あそび)

どこまで転がるかを競う  
Posted by 未来 at 00:06Comments(0)