2011年09月14日
「自己効力感」が、アプローチプログラムの背骨
自己効力感(self efficacy)ということが、バンデューラによって提唱された。
自分が効力期待がもてるという感覚をさす概念として自己効力感を位置付けている。
まず、「渡る世間は仏ばかり」というくらいの、ありのままの自分を受け入れられている安心感。
幼児の行動を受け止め喜んでくれ、作ったものも受け止め感心してくれる。
そのような中で、自分をしっかりと表現したい。何かをすればうまく出来そうだとの気持ちとなる。
自分の周りの人・もの・ことに積極的に関わり、知的好奇心が旺盛な姿がでる。
この何かをして、それがうまくいきそうだ、何かをしたい、という感覚が持てるようにすることが、幼稚園教育の大事なところなのではないだろうか。
そのことが、何かを教え知識が得たというような事でなく、自己効力感が持てた姿を求めることが、幼稚園小学校学びの連続性のための、幼稚園におけるアプローチプログラムの背骨になる部分かも知れない。
・・・いや、・・・全く根拠もない。
ふと、思ったことだけである。
このことと、もう一方では、「衣食住に関わって、当たり前の事が、当たり前に出来る力」をつける事との両輪ではないだろうか。
自分が効力期待がもてるという感覚をさす概念として自己効力感を位置付けている。
まず、「渡る世間は仏ばかり」というくらいの、ありのままの自分を受け入れられている安心感。
幼児の行動を受け止め喜んでくれ、作ったものも受け止め感心してくれる。
そのような中で、自分をしっかりと表現したい。何かをすればうまく出来そうだとの気持ちとなる。
自分の周りの人・もの・ことに積極的に関わり、知的好奇心が旺盛な姿がでる。
この何かをして、それがうまくいきそうだ、何かをしたい、という感覚が持てるようにすることが、幼稚園教育の大事なところなのではないだろうか。
そのことが、何かを教え知識が得たというような事でなく、自己効力感が持てた姿を求めることが、幼稚園小学校学びの連続性のための、幼稚園におけるアプローチプログラムの背骨になる部分かも知れない。
・・・いや、・・・全く根拠もない。
ふと、思ったことだけである。
このことと、もう一方では、「衣食住に関わって、当たり前の事が、当たり前に出来る力」をつける事との両輪ではないだろうか。
Posted by 未来 at
00:05
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